独りアクティブ非モテ系16年目ドクターのにっき。
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相変わらずドライブしてお散歩するのが好きなはくこうですが、
気がつけばいい年になったこともあり、
昔訪れた場所を再訪するという面白さも覚えてまいりました。
そうそうこんなところあった!という思い出し喜びや、
ここは変わっちゃったなーと時代の変化を感慨深く思ったりと
再訪ツアー、なかなかに面白いものであります。
もちろん再訪はいつも独り!寂しくない寂しくない寂しくない・・・
・・・
・・・
で(泣)(←※そこは全く変わらず)
というわけでこの日のお散歩は大阪府羽曳野市&太子町。
遠つ飛鳥なる奈良の飛鳥に対して、近つ飛鳥として知られるこのエリア。
街全体に陵墓や遺跡が点在する大阪有数の歴史散策スポットであります。
実ははくこうは13年前にここを散歩しておりました。
ダメダメ医学生の京風日記・2003年1月28日(※別窓)
近鉄・上ノ太子駅から飛鳥戸神社、観音塚古墳、
そして叡福寺、敏達天皇陵、壺井八幡宮とサイクリングしたあの日。
もはや断片しか覚えていない小旅行ですが、
果たして13年経って訪れてみたらどうなのか、
ちょっとワクワクしながらクルマで太子町到着であります。
あのときと同じく、独りで。
・・・
・・・
で(泣)(←※変わらないものが以下略)
今回は叡福寺からスタート。聖徳太子のお墓があるお寺。
時間が17時を過ぎていたため閉門されていました。。。
叡福寺、あの時写真を何枚も撮っていたはずなのに、
境内を覗いてみてもほとんど訪れた記憶がない。。。
過去日記にupした聖徳太子の飛び出し坊や。同じものがありました。
そして今回は以前訪問しなかった場所にもちょっと寄り道。
学生時代とは違い、やはりクルマがあると行動範囲が広がるもんです。
というわけで訪問したのが、
推古天皇陵。
日本でもっとも有名かもしれない女性天皇。
日本初の女性天皇であり、東アジア初の女性君主である推古天皇。
実は日本には推古天皇を含め8人の女性天皇がおられたようです。
推古天皇陵。丘の上の静かな森。
天皇陵を示す立て札。関西ではちょくちょく目にします。
推古天皇陵の周囲はのどかな農村風景。
はるか向こうに見えるPL教団の大平和記念塔(※別窓)
この地のはるか悠久の歴史を感じつつ、
そんな推古天皇陵を後にして、次にやってきたのは、
敏達天皇陵。
推古天皇陵に引き続き、再び天皇陵。
そしてここ敏達天皇陵は13年前にはくこうが訪れた場所でもあります。
なぜ当時ここをわざわざ訪れたのか、その理由はわかりませんが、
ものすごく神聖でスピリチュアルな場所だったという記憶がかすかに。
13年後に訪れてみる敏達天皇陵、果たしてどうでしょうか。
何が出るかイラスト以外ではわからない警告。
畑の中の一本道から森の中の一本道へと分け入り、
目の前に見えてきたのは、
敏達天皇陵。
誰もいない中、完全に整備された玉砂利。
陵を囲む森、風にざわめく木々の音、ひぐらしの声。
13年前の日記には「王陵の地らしい荘厳な雰囲気が漂う」と書きましたが、
まさにその通りのただただ静かで荘厳な雰囲気。
1,000年以上前の陵からすれば13年ぶりの訪問なんていうのは、
刹那的な間隔なんやろなーと思いつつ、
陵を後にしたのでありました。
こちらもかつて訪問した壺井八幡宮。
緑が多く外界から遮断された神聖な雰囲気。
楠の木。13年前にも同じ写真をアップしていました。
再びクルマに乗り込み太子町方面へ。
13年前の日記では南阪奈自動車道の建築現場について、
景色が分断されて悲しいことやなーと書いていましたが、
13年後のはくこうはその南阪奈自動車道でやってまいりました。
大変便利でございました
南阪奈道、13年前は建築現場の写真でしたが、今は立派に完成。
そして最後はもちろん温泉に。太子温泉、関西198湯目。
全体的に漂う昭和の雰囲気がたまらなくツボでありました。
そんなわけで13年ぶりの羽曳野、太子町訪問もこれにて終了。
さーてと、家まで帰るとしますか。
助手席はもちろん荷物・・・
・・・
・・・
ズーン(←※13年間変わらないこのフレーズ)
気がつけばいい年になったこともあり、
昔訪れた場所を再訪するという面白さも覚えてまいりました。
そうそうこんなところあった!という思い出し喜びや、
ここは変わっちゃったなーと時代の変化を感慨深く思ったりと
再訪ツアー、なかなかに面白いものであります。
もちろん再訪はいつも独り!寂しくない寂しくない寂しくない・・・
・・・
・・・
で(泣)(←※そこは全く変わらず)
というわけでこの日のお散歩は大阪府羽曳野市&太子町。
遠つ飛鳥なる奈良の飛鳥に対して、近つ飛鳥として知られるこのエリア。
街全体に陵墓や遺跡が点在する大阪有数の歴史散策スポットであります。
実ははくこうは13年前にここを散歩しておりました。
ダメダメ医学生の京風日記・2003年1月28日(※別窓)
近鉄・上ノ太子駅から飛鳥戸神社、観音塚古墳、
そして叡福寺、敏達天皇陵、壺井八幡宮とサイクリングしたあの日。
もはや断片しか覚えていない小旅行ですが、
果たして13年経って訪れてみたらどうなのか、
ちょっとワクワクしながらクルマで太子町到着であります。
あのときと同じく、独りで。
・・・
・・・
で(泣)(←※変わらないものが以下略)
今回は叡福寺からスタート。聖徳太子のお墓があるお寺。
時間が17時を過ぎていたため閉門されていました。。。
叡福寺、あの時写真を何枚も撮っていたはずなのに、
境内を覗いてみてもほとんど訪れた記憶がない。。。
過去日記にupした聖徳太子の飛び出し坊や。同じものがありました。
そして今回は以前訪問しなかった場所にもちょっと寄り道。
学生時代とは違い、やはりクルマがあると行動範囲が広がるもんです。
というわけで訪問したのが、
推古天皇陵。
日本でもっとも有名かもしれない女性天皇。
日本初の女性天皇であり、東アジア初の女性君主である推古天皇。
実は日本には推古天皇を含め8人の女性天皇がおられたようです。
推古天皇陵。丘の上の静かな森。
天皇陵を示す立て札。関西ではちょくちょく目にします。
推古天皇陵の周囲はのどかな農村風景。
はるか向こうに見えるPL教団の大平和記念塔(※別窓)
この地のはるか悠久の歴史を感じつつ、
そんな推古天皇陵を後にして、次にやってきたのは、
敏達天皇陵。
推古天皇陵に引き続き、再び天皇陵。
そしてここ敏達天皇陵は13年前にはくこうが訪れた場所でもあります。
なぜ当時ここをわざわざ訪れたのか、その理由はわかりませんが、
ものすごく神聖でスピリチュアルな場所だったという記憶がかすかに。
13年後に訪れてみる敏達天皇陵、果たしてどうでしょうか。
何が出るかイラスト以外ではわからない警告。
畑の中の一本道から森の中の一本道へと分け入り、
目の前に見えてきたのは、
敏達天皇陵。
誰もいない中、完全に整備された玉砂利。
陵を囲む森、風にざわめく木々の音、ひぐらしの声。
13年前の日記には「王陵の地らしい荘厳な雰囲気が漂う」と書きましたが、
まさにその通りのただただ静かで荘厳な雰囲気。
1,000年以上前の陵からすれば13年ぶりの訪問なんていうのは、
刹那的な間隔なんやろなーと思いつつ、
陵を後にしたのでありました。
こちらもかつて訪問した壺井八幡宮。
緑が多く外界から遮断された神聖な雰囲気。
楠の木。13年前にも同じ写真をアップしていました。
再びクルマに乗り込み太子町方面へ。
13年前の日記では南阪奈自動車道の建築現場について、
景色が分断されて悲しいことやなーと書いていましたが、
13年後のはくこうはその南阪奈自動車道でやってまいりました。
大変便利でございました
南阪奈道、13年前は建築現場の写真でしたが、今は立派に完成。
そして最後はもちろん温泉に。太子温泉、関西198湯目。
全体的に漂う昭和の雰囲気がたまらなくツボでありました。
そんなわけで13年ぶりの羽曳野、太子町訪問もこれにて終了。
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助手席はもちろん荷物・・・
・・・
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ズーン(←※13年間変わらないこのフレーズ)
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プロフィール
HN:
はくこう
性別:
男性
職業:
麻酔科医
自己紹介:
近畿地方の某市中病院に勤める麻酔科医。気がつけばドクター16年目、WEBでのカキモノは22年目に突入ながら、変わらない非モテ系が、そこにはいる。ズーン。
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